今回は、今まで何処にも公開していない私、ゴルゴ横山が本気で ” 死 ” を覚悟した遭難事故の記録を掲載します。 釣りライターとしては、自分が釣り場で事故・遭難にあったなどという話しは、なかなか公に出来ないことでもあります。特に、雑誌やTVのようなメディアに出て、ある程度知名度が上がって来ると、模範的行動を求められるようになるので、なおさらそういう話は出来なくなります。 しかし、そんなカッコばかりつけていては、悲劇は繰り返されるばかりです。毎年、多くの釣り人が海や川で流され、命を落としています。私の知人も、かつて海で流され命を落としました。 今回は、かつての私のような過ちを犯さないよう、あえて私の恥ずかしい失敗の話を書くことにしました。これは、大げさでも何でもなく、本当の遭難事故の話しです。 この時は紛れもなく死を間近に感じた経験でした。この経験をしてから、私はこのポイントには2度と入っていません。また、ここはスズキ狙いでは有名なウェーディングポイントで、私の連載の取材予定にも入れていましたが、結局紹介することはありませんでした。普段は、相当バカなポイントにも行きまくっている私ですが、そんな私でも、心底恐怖と後悔の念を感じた経験でした。 また、これは自慢話しでもなんでもなく、この遭難事故を起こしたのが私でなかったら、本当に最悪の事態になっていたのではないかと思っています。しかし、いくつかの幸運と、知識と精神力のおかげで、今こうして記事を書くことができています。 事故を防止することは勿論大切ですが、最悪、事故を起こしてしまった時の対処方法については、今までメディアで語られたことはありませんでした。皆さんには、私が遭難事故を起こした理由と、無事生還できた理由を、しっかり心に刻んでおいて頂きたいと思います。
■後悔
「ごめん、オレだめみたいだ。どうやっても戻れそうもないや。こんなとこで死ぬのやだなぁ。溺死って苦しそうだよなぁ。最期に声聞きたかったな・・・なんにもしてやれなかったな・・・ごめんな」
もはや岸に向かって泳ぐことも諦め、真っ暗な海に浮かびながら、そんなことを考えていた・・・
自分は死の間際に何を考えるんだろうと思ったこともあるが、こんな事を考えている自分に、驚きと共に、少し恥ずかしい気もした。もう、岸も見えない。かなり沖に流されたようだ。こんな所でも、恥ずかしいという気持ちが湧く自分が不思議だった。
「とりあえず、フローティングベストを着てて良かった。携帯は浸水して使えないし、こんな夜中の海のど真ん中でどうなるんだ。第一海堡や第二海堡辺りまで流れ着くなんてことも無いだろうしなぁ。ずっと沖まで流されて餓死するのかな。船に挽かれてスクリューに巻き込まれるのは嫌だな・・・」
■野心
遡る事、数日前。その日ゴルゴは、某雑誌社から単発の取材を受け、取材場所をどこにするか悩んでいた。
「もう5月か。1年は早いなぁ。この前、正月が終わったかと思ったら、もう来月は夏だよ。もしかして、再来月はクリスマスが来るんじゃないか!?」
この時期、スズキの実績がある場所はくらでもあるが、今回はいつものソルト・アンド・ストリーム誌の取材ではなく、別の雑誌社の単発の取材で、編集部からも、まだ数回しか会ったことのない編集者が同行することになっていた。
この雑誌では、まだ数回程度しか記事は書いたことが無く、今回は取材を1発で終わらせ ” コイツは出来るヤツだ ” と思って頂き、次の仕事につなげたいと思っていた。
当時の私は、ちょうどメディアの仕事がどんどん増え始めた頃で、自分でも今がこの業界で生き残るための勝負の時期だと自覚していた。そんな事もあり、今回の取材は、より確実に釣れる場所を選択することにし、いくつか挙げた候補の中から、当時爆釣が連発していた、千葉県市原市の「養老川河口」に決めた。ウェーディングで河口の排水溝周辺を狙う、関東のシーバサーの間では有名なパターンだ。
■東京湾独特の恐怖
ここで、少し話が逸れるが、東京湾にはいくつか干潟があり、そういう場所には必ずスズキの好ポイントが存在する。ただ、この手のポイントはウェーディングが必要になることが多く、特に夜間は、東京湾独特の注意が必要になる。どんな注意が必要になるかは、下の画像をご覧頂くと、何となくわかるだろう。
今回登場した養老川の河口は、大潮の干潮時でも、それほど河口の沖まで歩いて行けないので、それほど心配はいらないが、盤津干潟や三番瀬などは、大潮の干潮時は果てしなく歩いて行ける場所もある。潮位の高い時間に、ゆっくり歩いていると、平気で1時間くらいはかかるポイントもある。
しかし、ここに落とし穴がある。もう一度上の画像を見て欲しい。東京湾は長細くクネクネ曲がった形をしており、途中には「観音崎」と「富津岬」が突き出ている。そのせいで、この「観音崎」と「富津岬」を結んだ線より湾奥側には「360度、どっちを見ても岸が見える」という場所がいっぱいある。
沖までウェーディングしている時はいい。しかし、問題は帰るときだ。慣れないうちは、ちゃんと帰り道を確認しながらウェーディングしないと、
「あれっ?岸はどっちだっけ?」
という事になるのである。しかも、東京湾の沿岸部は、街や工場地帯が多く、夜間は「360度、どっちを見ても光が見える」のである。よく見ると、それらの光の色・大きさ・位置などの違いにより、自分が帰る方向は分かるが、慣れないうちはかなり戸惑う。しかも、それが上げ潮の潮位ギリギリの時だとしたら、パニックに陥る可能性もある。
穏やかなイメージのある東京湾だが、東京湾なりの危険も潜んでいるのだ。実は、今回の生還物語でも、この東京湾の特性との格闘があった。
ここで話を戻そう。
■焦り
運命の取材当日。
忘れもしない、あの日は穏やかな晴天だった。私は、雑誌の編集者を従え、養老川の河口干潟へと向かっていた。道は空いていたため、少し早めにポイントに到着。車を停めて用意を済ませると、早速護岸に設置してあるハシゴで、河口干潟に下りる。ちなみに、今はこのハシゴは撤去されている。
まだ完全に干上がってはおらず、足のすね位の水が残っている状態だったため、エイに注意しながらスリ足で慎重に歩を進める。無事、排水溝が目視できる位のところまで来たので、先行者が居ないか目を凝らしてみると、どうやら人影は見えない。オイシイ場所を独占できそうだ。
しかし、これが悲劇の始まりでもあった。この時期に、スズキが釣れていれば、このポイントに人が居ない訳が無いのである。私は、その前の週に、ここで爆釣していたので、まだイケるだろうと踏んで安易にここを選択してきたのだが、この1週間で何か状況変化があったのだろうか・・・。
とはいえ、取材時に人が居ないのはいいことだ。別に魚を釣ったのを見られたくないのではなく、もし魚が釣れた場合、フラッシュをガンガン焚いて、写真を撮りまくるので、周りにもの凄く迷惑をかけるので気を遣うからである。
しかし、悪い予感は当たるものだ。この日一番期待していた、一番下流側の排水溝ではアタリが全くなく、一縷の望みをかけて、2番目の排水溝に移動するも、こちらもスズキの気配無し。フローティングミノーやバイブレーション、ソフトルアー・・・と、あの手この手で探るものの全くダメ。
この日は、取材ということで当然魚はゲットしたかったのだが、もう一つ目的があった。当時、開発中だったルアーのプロトタイプのテストもしたいと思っていたのだ。テストとなると、ただ投げて泳ぎを確かめるだけでなく、ある程度の数の魚を釣っておきたい。
私は、過去いくつかのルアーを開発プロデュースしてきたが、どれも発売前には、かなりの数のスズキを実際に釣って、ちゃんと魚が釣れる事を確認するのは勿論、どんな使い方をすれば一番よく釣れるかも確かめるようにしていた。
そんなこともあり、この日は、どうしても魚を釣りたかった。しかし、アタリすらないまま、干潮時刻が近づいてきていた。そして、焦った私は禁断の奥の手を使う事にしたのである・・・。
(つづく)
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