TRUTH44「そのルアーを交換するかどうかの判断方法:そのバイトはルアーのおかげか?それとも偶然か?ーその2 ~偶然の見抜き方~」

 

 

 

 

今回の記事は「The Truth of Seabassザ・トゥルース・オブ・シーバス」コーナーの記事でTRUTH43:そのルアーを交換するかどうかの判断方法:そのバイトはルアーのおかげか?それとも偶然か?ーその1 ~私達の癖~」の続編です。


上記の記事を掲載した後、別の記事を掲載したため、この続編の掲載までに結構時間が開いてしまったので、もはや前回の内容を覚えていない方もいるかもしれない。一応、前回の記事の最後の部分を、以下に再掲しておこう。

釣りをしていて、たまにバイトがあるが釣れない時、ルアー交換をするべきかどうかを判断する際、多くの釣り師の頭には「さっきのバイトはルアーのおかげか?それとも偶然なのか?」という事が気に成っているはずだ。

もっとやっかいなのは「5回キャスト連続でバイトがあったけどヒットしない場合」や「20キャスト連続でバイトすらない場合」みたいな時だ。これらのケースでは、ルアーをチェンジすべきなのだろうか?

ということで、次は「偶然に起こった事なのか、それとも、偶然以外の何かの理由で起こった事なのか」の正確な判断方法について、解説してみようと思う。

前回は、人間というものは、それが例え偶然起こったことでも、そこに何らかの法則性や必然的理由があるように思いたくなる性向があるという点について解説した。釣りのような、結構労力や金銭的投資を伴う事においては、特にその傾向が強くなる。

ちょっとバイトがあっただけで「やっぱり、オレのルアーセレクトは正しかった」とか「このパターンならこの方法で釣れると思っていた」みたいに、自画自賛したくなるのだ。

つまり、人間という生き物は、かなり「非合理的」な生き物なのである。しかし、私自身はその「非合理性」が全く悪いとは思っていない。どうせ、たまにしか釣れないのだから、たまに釣れた時くらい、偉そうな事を言わせてもらってもいいだろう。それが釣りの楽しさを増幅させてくれる大事な要素でもある。

私は以前、釣り雑誌での自身の連載コーナーで以下のような格言を書いたことがある。

釣りは、連れた人間が一番偉い。釣れた人間は、偉そうなうんちくを語る権利がある。釣れなかった人間は、釣れた人間のウザイうんちくを黙って聞く義務がある

私にとって、釣りとはそういうものである。

しかし、それはあくまで釣りというレジャーの「遊び方」についての話であり、「魚を釣るための方法」についての話ではない。ここはハッキリ切り分けて考える必要がある。友人との会話で、いちいち「それは偶然釣れただけの話だろう」と突っ込むのはイヤなヤツだが、釣りの真実について考える際は、出来る限り合理的な思考をすべきだろう。

そういう意味では、釣りとは「合理性」と「非合理性」を、うまく使い分ける必要がある大人の遊びとも言える。

この手の人間の性向については、いろいろな研究がなされているが、以下にその例を挙げておこう。


【確証バイアス】
人は現在持っている信念 、理論、 仮説に一致する情報を求め、潜在的に反証となる証拠の収集を避ける基本傾向を持つ。数多くの被験者実験によって、被験者は関連のある証拠を積極的に探すように求められた時、自分の仮説を論駁するのではなく確証するのに都合の良い方略を採用するため、一般的規則を発見するのに失敗する。ゲームプレイ中の人間は、ひとたびサイコロが操作されていると仮説を立ててしまうと、それ以降のプレイでその仮説に都合の良い部分ばかり目がいき、ますます確信を深めてしまう可能性がある.

【バンドワゴン効果】
人間は、他人の行動につられたり、他人の意見に影響される傾向があ。これを心理学では「同調」と呼ぶ。特に,日本人は同調意識が強く「これが流行っている」とテレビや雑誌に紹介されただけで商品を買ってしまったりする。自分の好みで選ぶのでなく、周囲と同じ趣向であることに安心感を得るのである。場合によっては、ゲームのレビューなどでも同様の現象が生じている可能性はある。

【ギャンブラーの誤謬】
例えば,表と裏の出る確率が50%ずつのコインを振って、4回続けて表が出ると「次はそろそろ裏が出るだろう」と考えることは、一般人にはありがちである。4回も表の続く確率は、1/2×1/2×1/2×1/2=1/16であり、次も表が出る確率は、1/32で100回のうち3回程度の確率である。しかし、何回続けて表が出ようとも、次に表の出る確率は50%である。表が続くと次に表の出る確率を本来の50%から過小評価してしまう。このような考えを「ギャンブラーの誤謬」と呼ぶ。

(※出典:「標準的なゲームプレイヤにとって自然に見える疑似乱数列の生成法」野村 久光 テンシリリックンシラ 池田心;北陸先端科学技術大学院大学:IPSJ-GPWS2013005

ということで、ここでは、私たちはどうしても非合理的に考えてしまいがちだという事を頭に置きつつ「では、どうしたら合理的な判断が出来るのだろうか?」という点について深掘りしてみたいと思う。


■そのバイトは偶然か?必然か?

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